2021年9月23日(祝)の午前10時から、名鉄の森上駅前ロータリーの特設スペースにおいて「恐竜ステゴサウルスの砂像」の完成を記念したお披露目式を開催いたしました。
このステゴサウルスの砂像づくりは、祖父江町商工会の設立60周年を記念して企画したものです。
実施制作は地元稲沢サンドフェスタをはじめとして砂像づくりでは全国的に名高い尾張砂像連盟さんに依頼しました。
この砂像の大きさは、なんと長さが3メートル、幅が1.8メートル、そして、高さが1.8メートルと実に巨大なもので、制作に要した砂は10トンにものぼります。
制作中からSNSで拡散されるなどすでに多くの話題を集め、親子で記念撮影に訪れる姿を見ない日はありませんでした。
ぎんなんと恐竜の関係~どうしてステゴサウルスなの?

イチョウは「生きた化石」と呼ばれています。
なぜそう呼ばれているのか?
ここに、絶滅した恐竜との深い関係があるのです。

アメリカのノースダコタ州で出土した化石より、今のイチョウは6000万年以上も同じ形のまま存在していることが判明しています。
このイチョウ類は、現代の植物界においてこの一種のみしか存在していません。
そのため、国際自然保護連合は、このイチョウを” 絶滅危惧種 ”に分類しています。
これが「生きた化石」といわれる理由です。
しかし、同じような遺伝子を持つイチョウの先祖は、1億7000万年前のジュラ紀にも存在していました。
進化の過程で、古代においては裸子植物が植物界の中心を占めており、イチョウ類はその代表的な存在として実をつけながらさまざまな種を繁殖させていました。
発掘された化石が指し示すとおり、そのイチョウの祖先のぎんなんの実が恐竜たち、特に草食竜であるステゴサウルスの主食のひとつであったのです。
そして、イチョウは恐竜とともにいったん絶滅しかけたものと考えられています。
昔は恐竜が、そして現代ではヒトが支えるイチョウの生態
世界的に著名なイチョウの専門家でこの祖父江町を訪れたこともあるピーター・クレイン氏は、その著書『イチョウ 奇跡の2億年史(河出書房新社)』で「2億年近い歴史の中でイチョウは徐々に数を減らし、絶滅しかけました。その後、人間の関与によって復活を遂げたのです」と語っています。
中国の山奥でわずかだけ存在したイチョウの生き残りは、約1000年ほど前からその実が食用となることを見いだされることで少しずつ国内に生息域を増やしていったようです。
その後、17世紀後半にヨーロッパの植物学者たちの目にとまったことをきっかけに世界中に広がっていきました。
これは、防風林、防火林として植栽され、その後、巨大な実をつけることで日本一のブランドとなったこの祖父江町のイチョウ、ぎんなんの歴史と実はとてもシンクロする長い長い時間をかけたストーリーなのです。